I.理系離れから理系欠乏症へ
1. 理系離れの進行
20XX年、理系に進む人が激減していた。子供たちの数は減り、少ない子供たちも、いわゆる「理系離れ」により、文系に進んでいった。
理系不足や理系のモラルの低下が原因の事故等が、全国で少しずつ増え始めていた。
しかし、事態はまだ悪くなかった。「理系なんかいなくても日本は大丈夫だよ」という楽観的な見方が多かった。
そういう社会の雰囲気を反映して、理系離れがどんどん進んでいった。
2. 理系離れから理系欠乏症へ
20XX年、理系に進む人は、さらに激減していた。アメリカのように、外国人労働者を受け入れるしかないという意見もあった。
しかし、日本では、文化の違いや治安の悪化等を理由に、外国人労働者の大規模な受け入れはなされなかった。
理系のなり手が不足し、現場では、人手不足から、文系が急場しのぎに理系の仕事を行なうことも珍しくなくなっていた。
科学技術の基礎的素養がない文系が、用意されたマニュアルを頼りに、機械や工場の管理を行なうこともあった。
20XX年、日本のある都市で、電車事故が起こった。
理系の整備工の不足から、信じられないことに、文系がマニュアルを頼りに、電車の整備をしていたからのようだ。
整備の仕事は困難であり、文系がマニュアルを頼りにできるようなものではなかった。
政府は、事態を重く見て、電車の整備工を増やそうとした。しかし、思うように優秀な理系が集まらなかった。
集まってきたのは、理系の基礎的素養にも欠けるような人材であった。
その頃、大学全入時代になり、理系の大学を出ても、理系の基礎的素養のない者が増えていた。
理系の授業についていけず、理系を卒業したのに、科学的な素養が文系と大差のない者も増えていた。
20XX年、日本のある都市で、飛行機が墜落した。理系の整備工の不足からのようだ。
政府は、事態を重く見て、飛行機の整備工を増やそうとした。しかし、思うように優秀な理系が集まらなかった。
金融機関のシステム、建築物など、日本の多くのインフラが故障や事故を起こしていた。
20XX年、日本の多くの都市で、工場での事故が多発した。
工場を適切に管理できる理系が不足していたからのようだ。
政府は、事態を重く見て、工場の理系人員を増やそうとした。しかし、思うように優秀な理系が集まらなかった。
理系の欠乏は、日本の科学技術の基礎力を急速に殺いでいった。
日本の製品の質は急速に落ちていった。製品の欠陥や事故が多発した。
諸外国でも日本製の製品は、信用するなという声が高まっていった。
日本に工場を作るのはやめて、新興国に工場を移す動きが盛んになった。
日本の貿易収支は悪化していった。
3. 国際収支の悪化による円安と理系流出 -頭脳流出の連鎖の始まり-
理系の欠乏により、日本の輸出産業は壊滅的な打撃を受けた。国際収支は悪化し、世界中が日本の将来を危ぶむようになり、日本円は1ドル200円になっていた。
そうすると、優秀な理系が、次々とアメリカに頭脳流出するようになった。
アメリカでも理系は搾取されていたが、1ドル200円の換算レートなら、日本よりもましと考える人が増えたのである。
20XX年、アメリカには、あまり英語の上手でない外国人技術者に、年収4万ドル程度の働き口があった。
年収4万ドルの働き口は、1ドル100円のときは、年収400万円となる。
この年収であれば、日本人がアメリカで暮らすには色々と不利な点もあり、流出はそれほどは起こなかった。
しかし、1ドル200円で換算すると、年収4万ドルは、年収800万円となる。
また、20XX年には、国際化の進展に伴い、日本人がアメリカに流出しやすくなる環境が整っていた。
そこで、多くの優秀な理系がアメリカに頭脳流出してしまうようになったのである。
これは、日本の科学技術の水準をさらに引き下げていった。
日本では、優秀な理系はアメリカに行くことが当たり前となり、日本に残った人は落ちこぼれとみなす人も出てきた。
日本の科学技術水準はさらに下がり、日本の貿易収支は悪化した。
20XX年、日本円はついに1ドル300円になった。
年収4万ドルの働き口は、1ドル300円で換算すると、年収1200万円となっていた。
そこで、アメリカに頭脳流出する日本人の理系は、ますます増えていった。
しかし、日本の理系の頭脳流出が増えすぎたので、アメリカでは、年収3万ドルでも職を見つけるのが難しくなっていた。
それでも、1ドル300円で換算して、年収900万円になるので、優秀な理系のアメリカへの頭脳流出はとまらなかった。
日本に残り、アメリカに頭脳流出できなかった理系は、役に立たない人材が多くなっていた。
日本の科学技術は見る影もなくなってしまった。
優秀な理系の不足による事故は、頻繁に起こりすぎて、ニュースにもならなくなった。
大学全入時代にもかかわらず、優秀な理系の学生は、日本の大学には行かなくなった。
優秀な理系の学生は、中学ないし高校卒業後、直接アメリカの大学に行くようになったのである。
アメリカには、日本人街がたくさんできた。日本食等の環境も整っていった。
日本人が暮らす環境が整っていったことが、ますます頭脳流出を加速させた。
理系は、アメリカに流出しやすかったが、文系は日本に留まるしかなかった。
文系は、年収1200万円のエリートでも、ドル換算すれば年収4万ドル程度であった。
1ドル100円で換算して、年収400万円である。
要するに、1ドル100円から、1ドル300円になったことにより、日本人全体の価値が下がっていったのである。
4. 医療における理系欠乏症
20XX年、医療の分野においても、理系欠乏症が明らかになった。医療費抑制のために医者に支給される総額が抑制されたのに、高齢化で病人が増えたのである。
医者は、今までの2倍の患者を、同じ報酬額で診なければならなくなった。
医者は過労に悩み、優秀な人材が医者から離れていった。
医学部にいけるくらいの頭脳があれば、アメリカに直接流出した方がよいと思う人が増えたのである。
1ドル300円のもとでは、年収1200万円の医師も、年収4万ドルにすぎなかった。
医者の過労により、医療事故が多発するようになった。
医療機器は外国製ばかりになった。
医療機器が壊れても、保守する理系も不足していた。
医療機器が故障し、保守をする技術者が不足して患者が死んでしまうという事故も起きた。
新型インフルエンザが発生したが、ワクチンを作る理系が不足していた。
しかたなく、文系が、短期のアルバイトで対策に携わったが、うまくいかなかった。
多くの人々が新型インフルエンザで死亡した。
外国の理系だけが、日本人の頼りだった。
日本人は、アメリカに頭脳流出し、多くは帰化してアメリカ人になっていた理系に助けを求めた。
しかし、アメリカ人になった理系の日系人は、都合のよい日本の態度に怒りをあらわにした。
日本が理系を冷遇したから国を捨てなければならなかったという思いが強かったからである。
それでも、一部の理系の日系人は、支援をしようとしたが、なかなかワクチンは届かなかった。
外国でも感染が拡大してパニックが起こっており、日本人だけを優遇するわけにはいかなかったのである。
その後、外国でのパニックが収まり、ようやく日本にもワクチンが供給されたのは、日本人の多くが死亡してからであった。
5. 大地震と理系
災害関連に従事する理系も、激減してしまった。大地震の予知や対策の技術もいっこうに進まなかった。
地震学者は、日本の国際収支が悪化し、1ユーロが500円を超えた頃から、ヨーロッパの地震国に頭脳流出してしまった。
年収2万ユーロでも、年収1000万円になるからである。
日本の誇る地震対策技術も地に落ちていた。
悪いことは重なるもので、関東で大地震が起こった。
救援をする技術者も不足していた。
文系が必死に災害救済のマニュアルを読んだ。しかし、技術が分からないので、救助は進まなかった。
大地震後、1ドル400円まで円が安くなった。
首都圏の復興には、建設業など多くの理系が必要だった。
しかし、建設業の技術者は、外国に流出していた。
建設業に限らず、その頃は、年収2万ドルや年収8000ユーロという水準でも、技術者は外国に流出していったのである。
通信線は遮断されたが、通信設備を扱う技術者も不足していた。
文系が必死に通信設備を操作したが、情報が伝わらず、災害による被害が拡大していった。
災害後の汚い水から感染症が増加していったが、医療技術者も、医師も、看護婦も不足していたのである。
6. 文系優位の社会の継続
そのころ、中国は、理系が政府の上層部にも多く、理系を重視していた。理系こそ国家の発展の源泉であるという発想をもって、理系の地位を向上させていた。
しかし、元のレートが安い間は、理系の頭脳流出に苦しんでいた。
いくら理系を国家的に優遇しても、元が弱いと、優秀な理系が欧米に流れてしまう。
そこで、理系の地位向上策は、実っていなかった。
しかし、中国は、ようやく基礎的な力を蓄え、元の価値を向上させていた。
欧米に頭脳流失せずに中国に留まって国の発展に尽くす理系も、少しずつ増えてきていた。
一方、日本は、大地震後、1ドル400円となっていた。
中国は、日本からの技術導入のため、日本からの理系の頭脳流出を歓迎した。
日本の理系は、中国にも頭脳流出するようになった。
日本の技術は、優秀な理系の人材がアメリカに流出して弱体化していた。
しかし、まだ中国にとって、日本の技術を移転するという意味での利用価値はなんとか保持していたのである。
日本の技術者は、年収800万円で中国で働き、日本の技術を中国に精力的に移転していった。
これは、中国の科学技術力をさらに向上させた。
元のレートは上がり、中国における技術者の年収は、ドル換算で、年収2万ドルに達した。
日本円にして、年収800万円である。中国の技術者は、ドル換算で、日本の技術者の年収を上回った。
中国製品の評価は上がっていった。価格だけではなく、質においても、日本製を上回ったのである。
日本の科学技術の水準はさらに下がっていった。
日本は、さらに文系優位の傾向を高めていった。
優秀な理系は外国に流出してしまったので、日本に残った文系の方が優秀だからという論理からである。
日本の年収1200万円の文系は、1ドル400円換算で、年収3万ドルになった。
1ドル100円の時代では、年収300万円である。
日本人全体の価値が、どんどん低下していった。
日本人の中では、文系が理系よりも高い地位に就いていたが、国際的には日本の文系の地位は下がっていったのである。
しかし、理系欠乏症としては、これは序の口だったのである。
II.そして理系はいなくなった
1.理系欠乏症の進展
1ドル400円となって、理系欠乏症は、ますますひどくなっていった。地震で壊滅した首都圏では、伝染病も止められず、全国に波及していった。
製品は粗悪品となり、製品の故障や欠陥が日常茶飯事となっていった。
日本は、かつての栄光にすがる衰退した国となっていた。
高所得者層は、欧米の製品を買うのが当たり前になっていった。スウェーデンやスイスの製品が特に人気があった。
医療の水準は低下し、平均寿命も下がっていった。
高所得者層は、日本で手術を受けるより、外国で手術を受けることを望むようになった。
災害対策もままならなくなっていった。
理系の学生は、高校、中学校ばかりか、小学校からアメリカに流出するケースが出てきた。
いずれアメリカで働くようになるなら、英語を学ぶのが早い方がよいと考える人が増えたのである。
出産を外国で行ない、外国籍を取得することも流行になった。
理系の人気はむしろ上がってきた。日本を脱出するには理系が好都合だからである。
しかし、理系に進んでも、いずれ外国に流出することを考える人が多くなり、日本で働く人はほとんどいなくなった。
事故が起これば重い責任を負わされるが、収入はドルに換算すると、年収1万ドルにも達しなかったからである。
理系の不足は、文系の分野を含む多くの分野に悪影響を与えるようになった。
たとえば、流通は一見文系の分野に見えるが、技術が衰えることにより、集荷、配送等がうまくいかなくなり、遅配が増加した。
交通システムも、遅れや事故が多発した。
環境の分野でも、技術が衰えることにより、汚染事故等が頻繁に起こり、河川が毒物で汚染されるようになった。
健康の分野でも、技術が衰えることにより、粗悪品が出回り、健康被害が起こってきた。
理系欠乏症は、科学技術の足腰が衰えることにより、社会全体に悪影響が顕著に出る段階に入っていった。
日本は、発展途上国ではないものの、中進国とみなされるようになった。
韓国は危機感から理系を優遇して先進国となり、中国は先進国入りを果たしつつあった。
2.外国人労働者の大幅な解禁
文系は、当初は外国人労働者の大幅な解禁には反対していた。しかし、理系欠乏症の現状と、理系労働力の顕著な不足を見て、外国人労働者の大幅な解禁に踏み切った。
ただし、理系を増やすためであるので、外国人労働者が解禁されたのは理系だけである。
外国の理系が一生懸命働いてくれることにより、文系の地位が上がることを期待したのである。
しかし、円の価値は、1ドル400円まで低下していた。
優秀な外国人労働者は、欧米の方が、はるかに日本より待遇がよいことを知っていた。
それどころか、理系を重視する中国の方が、むしろ日本より人気が高かったのである。
特に、アメリカには、優秀な理系の外国人労働者が集まっていた。英語圏であることも人気の理由だった。
外国人の優秀な理系は、日本にはあまり来なかった。
外国人労働者の大幅な解禁で押し寄せたのは、外国では、年収1万ドルでも雇ってもらえない人だった。
外国人労働者には、日本語が大きな壁になった。
日本の文系は、外国人労働者が、日本を救う切り札になるというわらにもすがる思いを持っていた。
しかし、ドル換算でわずかばかりの給料では、ストが起こった。
前から悪化していた治安は、さらに悪化していった。
3. 理系欠乏症の末期症状
最初は、理系離れの兆候から始まった理系欠乏症は、末期に至って恐るべき症状をはっきりとあらわしてきた。日本は、犯罪率が高く、災害の復旧も遅く、事故が多発し、環境汚染が蔓延し、医療水準も低い国になっていた。
文系の中にも、日本を離れたい人が多くなっていった。
しかし、文系の場合、外国に流出することが、理系より難しかった。
ここに至って、理系離れの傾向は逆転し、文系離れが深刻になった。
日本を脱出できるという保険を得るために、多くの人が文系よりも、理系を志望するようになったのである。
1ドルは500円になっていた。
日本は、エリート層は幼少から外国で教育を受けさせ、英語を母国語同然に使えるのが当たり前になっていた。
非エリート層は、そのようなお金はなかったが、それでも日本を脱出するために、理系を志望した。
文系も、日本を脱出することばかりを毎日考えるようになった。
ようやく日本は終焉へと近づいてきた。
文系が、日本脱出のために、日本から資産を外国に逃避させることにより、円はさらに暴落していったのである。
1ドルは1000円になり、日本のGDPは、発展途上国並の水準となった。
優秀な文系は、先を争って日本を脱出した。
残った文系のモラル低下により、汚職が日常茶飯事となっていった。
一方、日本の価値が下がったことにより、外国の資本が日本をリゾート地として買うことを検討することになった。
小学校では、国語の時間にも、内職をして、英語の教材を読むことが当たり前になった。
社会科は、生徒の関心を呼ばなくなり、みんなが算数や理科に興味を持つようになった。
理科離れはとうとう終焉し、文科離れが始まった。それも、外国に流出するためである。
英語、算数、理科は人気科目となり、国語と社会(特に日本史)は人気がなくなった。
しかし、社会の中でも世界史だけは、人気を博していた。
その頃、中国では、理数系の才能のある日本人に優遇策を採っていた。
日本では理数系の英才教育が受けられないので、中国に留学することも人気になった。
3.日本から消えていく技術の火
日本の会社は、技術系の会社は人材不足でほぼ消滅した。残った技術系の会社でも、お金をかけて一生技術者を育て、技術を伝承しようという態度がなくなっていた。
技術者が、外国に流出しないように見張っていることが要求された。
英語での学会発表も、外国流出の兆しとして、厳しく監視されるようになった。
技術の伝承は不可能になり、年々日本の技術力は衰えて行った。
III.理系欠乏症の研究
1.歴史学者の研究
その頃、ある歴史学者が、日本の衰退の原因を研究していた。理系離れから始まった理系欠乏症がその原因ではないかと考えた。
理系の地位を向上させておけば、このようなことは起こらなかったのではないかと考えたのである。
2.理系の地位向上 -遅すぎた対策-
そこで、理系の地位向上の対策を行なった。日本の理系の大学の学費を無料とし、日本で理系として働いた場合に補助金を出したのである。
しかし、すでに遅かった。
1ドル500円では、優秀な理系に、日本で年収1000万円を保証しても、年収2万ドルにしかならない。
日本は、犯罪率が高く、災害の復旧も遅く、事故が多発し、環境汚染が蔓延し、医療水準も低い国になっていた。
高度経済成長のときも、焼け野原から日本人は立ち直ったのだという声も上がった。
しかし、グローバル化が進んだ21世紀とは状況が違っていた。
優秀な人材は、外国に根付いて行き、日本に帰ることはなかったのである。
22世紀の歴史の本には、日本という科学技術に支えられた先進国が存在したことが書かれていた。
歴史学者は述べた。
健康と同じで、失って初めて分かることもある。
1ドル100円のときに、理系の地位向上がなされていれば、このようなことにはならなかった。
しかし、文系は、理系は仕事が面白いので、満足しているのであろうと考え、理系の地位を上げようとはしなかった。
一方、理系も、自分たちが不満はあっても、概ね満足しているので、理系の地位を上げようとはしなかった。
健康と同じで、健康なうちに対策を打ては、ずっと簡単に健康を保つことができる。
歴史学者は続けた。
国にとって、理系離れは病気の初期症状のようなものなんだ。
歴史は繰り返すんだ。
この小説はフィクションであり、特定の人物や史実との関係は全くありません。