日语小说连载_2

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 三ヵ月ほど前。七月二日のこと。
 夕陽丘《ゆうひがおか》の私のマンションに火村英生《ひむらひでお》から電話が入った時、私は某大学の推理小説研究会から送られてきたアンケートの回答を書いているところだった。Q1は「ペンネームの由来は何ですか?」という、よくある質問。有栖川有栖《ありすがわありす》なんてペンネームだとしか思われないだろうけれど、答えは「本名」の二文字ですむから楽である。知り合いのある作家は、「ペンネームの由来を説明すると長くなるから、面倒くさくてかなわないんだ。いいよな、本名と答えればいい奴は。俺も今度から『本名です』と嘘ついてすませようかな」とぼやいていた。アンケートのQ2は「お好きなミステリのベスト5は?」。「一位はエラリー・クイーンの『Yの悲劇』」と答えることに決めているのだが、ベスト5となると答えを用意していない。この齢《とし》になるとベストなんとかを選んで遊ぶのには、ほとほと飽きているのだが……。
 などとやっているところに電話だ。大学時代から付き合いのある犯罪学者は、「忙しいか?」とまず訊いてきた。
「そうやなぁ。二週間以内に書かんといかん短編があるから暇でもないけれど、とりたてて忙しいわけでもないし……」
「煮え切らない奴だな」友人は私の言葉を遮《さえぎ》った。「どっちでもいいや。殺人現場にくる気があるのなら、これから言う場所にこい。メモの用意はいいか? 大阪市|都島《みやこじま》区──」
 えらく唐突だな、と思いながら、私はとりあえず殺人現場とやらの住所をメモに控えた。〈グランカーサ都島〉というマンションの604号室、と。
「京都から出張か。臨床犯罪学者の火村先生は、本日そこでフィールドワーク中というわけやな。有能な助手のご用命ということは、難しそうな事件なのか?」
 電話の脇に置いてあった車のキーをいじりながら言う。返事はイエスでもノーでもなかった。
「くれば判《わか》る。──ところで、〈ユメノ・ドグラ・マグロ〉っていうインディーズ系のロックバンドを知っているか?」
「ユメノ……ドグラ・マグラ?」
「マグロ、だ。まだ自主制作のCDを一枚出したばかりらしい」
 ロック好きの私でも、インディーズ系の駆け出しバンドを知っているはずがない。〈ユメノ・ドグラ・マグロ〉か。メジャー・デビューすることをあらかじめ放棄しているかのようなバンド名である。
「被害者は山元優嗣《やまもとゆうじ》といって、そのバンドのギタリストだ。自分が使っていたエレキギターで頭を殴られて死んでいた。犯行は昨日《きのう》の夜。バンドのメンバーの一人が瀕死《ひんし》の被害者を発見したんだけれど、手遅れだった」
 ロックバンドのギタリストが自分のギターで殴り殺されたとは、悲惨な死に様だ。
「まるで『Yの悲劇』やな」
 私がぽつりと呟いたのを、火村は聞き逃さなかった。
「どういうことだ?」
「ああ、いや、何でもない。エラリー・クイーンの『Yの悲劇』っていうミステリのことを連想したんや。その小説の中で殺されるのはギタリストやないけれど、凶器が楽器なんで」
「ギターで殴り殺されるのか?」
「いいや、マンドリン。他にいくらでも適当な道具があったし、毒薬も所持していたのに、犯人はどうしてマンドリンなんていうものを強引に凶器に選択したのか、という疑問がラストで鮮やかに解明される小説なんやけど、今回の事件にはそういう謎はなさそうやな。マンドリンと違ってエレキギターは重量があって堅いから、殺人の凶器としてさほど不自然やない。被害者がギタリストやったそうやから、そのギターも手近なところに置いてあったんやろうし」
 何故《なぜ》か火村は黙り込んでしまった。私は妙なことを口走っただろうか? 短い沈黙を破った彼は予想外のことを言う。
「持つべきものは推理作家の友人だよ。こっちにくる時に、その『Yの悲劇』という本を持ってきてくれないか。あるだろう」
 三種類の訳を揃えてある。
「エラリー・クイーンの小説がギタリスト殺しに関係してるとでも?」
「多分、何の関係もないだろう。ただ、ちょっと気になることがあるんだ。詳《くわ》しいことは現場で話す」
 気を引くような言い方をしやがるな、と思いつつも、了解して電話を切った。整理の悪い本棚ではあるが、ご贔屓《ひいき》のクイーンの本だけはすぐに手に取れるところに並べてある。私は『Yの悲劇』の一冊を抜き取り、メモした住所がどのあたりか地図で確かめてから部屋を出た。
 ふだん車で走ることが少ないエリアだったが、〈グランカーサ都島〉はすぐに判った。北側が大川《おおかわ》に面した十階建てのマンションで、見たところまだ築後五年以内だ。付近には木造の古い家屋と新しそうな高層マンションが混在していた。駐車禁止でないことを確かめてから、私は川べりで車を停《と》める。朝夕は通勤の足となる水上バスが、のんびりと川面《かわも》を進んでいた。
 六階のあたりを見上げると、真ん中あたりのバルコニーが青いビニールシートで覆《おお》われていて、捜査員のものらしい人影が動いているのが隙間《すきま》からちらりと見えた。間違いない、あの部屋が殺人現場なのだ。私は早足で玄関の方に回った。
 エレベーターで上がる。このマンションは縁起をかついて4で始まる部屋番号がないとかで、604号室は五階にある、と電話で聞いていた。廊下での証拠品収集作業は完了しているらしく、こちらにも掛かっていたであろうシートは撤去されていた。人影もない。私はチャイムを鳴らした。
「お待ちしていました、有栖川さん。いつもご苦労さまです」
 出迎えてくれたのは、大阪府警捜査一課の船曳《ふなびき》警部だ。火村のフィールドワークに立ち合ううちに、彼とはすっかり顔馴染《かおなじ》みになっている。仕事には厳しいが人情味のある親父さんで、犯罪捜査に協力する部外者の火村との信頼の絆《きずな》も強い。まだそれほど気温は上昇していないのに、太鼓腹にサスペンダーの警部は額に汗を浮かべていた。夏が苦手であろうことは、体型から推察できる。
〈海坊主《うみぼうず》〉と渾名《あだな》されるその豊満な体の向こうから、火村がこちらに歩いてくるのが見えた。上着は脱いでいて、腕まくりしたブルーのシャツにだらしなく結んだネクタイをぶら下げている。「早かったな」というのが挨拶《あいさつ》だった。十畳ほどのリビングを見渡したところ、捜査員の姿はない。さっきバルコニーにいたのは火村だったのだろう。
「このリビングが現場だ。血腥《ちなまぐさ》いものはないから安心してくれ」
「だいぶ慣れたから、そんな心配は必要ないぞ。遺体はそんなに無惨な様子やったんか?」
「元々ここには遺体はなかった。被害者は瀕死の状態で発見されて、病院に運ばれる途中で死んだんだ。額と頭頂部にひどい裂傷を負っていたから、もちろん無惨な様子だったと言うしかないな。──被害者の山元優嗣が横たわっていたのは、そこだ」
 彼は顎《あご》でしゃくってソファの前の床を指した。乾いた血溜《ちだま》りが遺《のこ》っている。その脇には底に血がついたスリッパが転がり、ソファのチャコールグレーの布地にも、どす黒い染みが点々と散っていた。だいぶ慣れたと強がってみせたが、やはり気持ちのいいものではない。
 ソファと向かい合った壁際には、テレビとオーディオを収納した立派なボードがあり、CDラックは和洋のロックのアルバムで埋まっていた。AV機器そのものはさして高級なものではなかったが、アンプとスピーカーはいいものを使っている。そんな現場観察をしながら、私は背中で火村の声を聞く。
「傷の形状から、犯人は立った状態の被害者の頭頂部めがけてギターで一撃を加えたとみられる。被害者は大きなダメージを受けてソファに倒れこんんだようだ。その額に犯人はさらにギターを振り下ろし、被害者は床に昏倒《こんとう》した、というところだ。傷は二つ。死因は脳挫傷《のうざしょう》だが、どちらが致命傷になったかは判然としない」
「頭部の他には、右手に打撲の痕《あと》があるだけです」船曳が補足する。「おそらく額を殴られる際、身を守ろうとして受けたものでしょう」
 エレキギターで頭に二発か。犯行の情景を想像して、そんな殺され方は真《ま》っ平《ぴら》だな、と思う。
「凶器のギターはそこに落ちていました。被害者が愛用していたものだそうです」
 振り向いて警部が指差した先を見ると、床に白いビニールテープが貼《は》ってあった。その形は、アルファベットのYに似ている。どうやら〈使用楽器〉はフライングVらしい。ボディがVの形をしたギターなのでそういう名前がついているのだが、あれはネックと合わせると全体の形がYの字に見える。
「弦が三本切れて、ネックは折れていた」火村は言う。「リッチー・ブラックモアが叩き壊したみたいに」
 リッチーがアンコールの頂点でギターを壊してみせるパフォーマンスは有名だが、彼とこの事件を結びつけるのは難しい。フェンダーのストラトキャスターしか使わないから。
「私はエレキギターなんていうものを手に取ってみたのは初めてでしたが、重たいんですなぁ。それに石みたいに堅い」
〈海坊主〉警部はギターを弾く真似をしながら言った。手つきは怪しいが、体型がアメリカ人っぽいのでカントリー・ミュージックの大御所に見えなくもない。
「エレキギターが殺人事件の凶器に使われた前例というのはあるんですか?」
「寡聞《かぶん》にして知りません。凶器は鑑識に回してありますので、後ほど写真でご覧いただきましょう。さて、事件の概要についてですが──」
 まず被害者について。殺されたのは山元優嗣、二十二歳。この部屋の主である。大阪市内の大学に籍を置いていたが、アルバイトとバンド活動に打ち込んでいたため、ここ一年以上、学校にはまったく足を向けていなかった。浪人と留年を経験しているので、大学二年生。山元がギターを弾いていた〈ユメノ・ドグラ・マグロ〉は高校時代からの友人を中心に結成されたバンドで、ライブハウスを中心に活動をしていた。自主制作による初のCDアルバムをリリースしたのは、つい一ヵ月前のことだった。
「その程度のバンドなら、ライブハウスで活動といっても儲けどころか足が出ていたでしょう。被害者はここに一人で住んでいたということでしたね。分譲なのか賃貸なのか知りませんが、よくこれだけのマンションに住めたもんです」
 私が疑問をさし挟む。〈グランカーサ都島〉はゴージャスな高級マンションでもなかったが、この604号室は平均的な四人家族が暮らせそうな3LDKだ。普通なら若いアマチュア・ミュージシャンが一人暮らしできるとも思えない。
「ここは分譲マンションです。一部、賃貸で入居している人もいるそうですけれどね。被害者は、居酒屋でアルバイトをして生活費やバンド活動費を捻出《ねんしゅつ》していたそうです。ですから、3LDKの部屋を購入する資力なんかもちろんありません。ここは彼の父親が所有してるんです」
「家族とは別居しているんですか?」
「母親とは死別していて、肉親は父親一人だけです。損害保険会社に勤務する父親は二年前に東京本社へ転勤になったため、あちらに別のマンションを買って、大阪市内の大学に入学した息子だけがこちらに残りました。経済的には余裕があったんですな」
「父一人子一人ですか。さぞ力を落としてらっしゃるでしょうね」
「そうですね。でも、今朝ほど病院でお話ししましたが、気丈そうな親父さんですよ。ひと晩かけて東京から車で飛んでいらした。昼頃になってさすがに心身の疲れが吹き出したようで、現在は梅田《うめだ》にとったホテルで休んでいます。──事件の話に戻りますよ」
 この現場から消防と警察に通報をしたのは、バンド仲間の沢口彩花《さわぐちあやか》だった。警察に記録された通報時刻は昨夜の十時一分。彼女は山元優嗣と小学生時代からの幼馴染《おさななじ》みで、ここから徒歩で十分ほどのところに住んでいる。彼が貧しい食生活を送っているのをふだんから心配していたので、時々、余分に作った手料理を運んでやっていたのだそうだ。昨夜も彼の好物の散らし寿司を持ってやってきて、チャイムを鳴らしたところ返事がない。ドアに鍵が掛かっていないのを不審に思いながら入ってみると、ギタリストが頭から血を流してうめいていた。ひどい傷だ。びっくりして駆け寄り、介抱しようとしたのだが意識がなくなった。それで、自分の携帯電話で一一九番と一一〇番に報《しら》せた──。
「すぐに救急車が駈けつけたが、被害者は病院に到着する前に息絶えた。とまぁ、そういう経緯です」
「沢口さんがやってきたのは、犯行からどれぐらい後なんでしょうか?」
「それは定かではありませんが、受傷の様子からみて二十分とたっていなかったようです。ほとんど犯行直後やったのかもしれません」
「沢口さんは犯人らしき人物を目撃していないんですか?」
「ええ。しかし、非常に重要な証言をしてくれました。意識を喪失《そうしつ》する前に、被害者は犯人が誰なのか告げようとしたんです」
 額をギターで割られているのだから、被害者は犯人の顔を真正面からしっかりと見たはずだ。可能ならば、当然そいつの名前を言い遺すであろう。
「そうすると、事件は解決したのも同然ということですか?」
 それならば民間の協力者である火村や私がしゃしゃり出てくる必要はなさそうだが。
「いえいえ。それがおかしな具合なんです。沢口彩花は、被害者が口にした言葉の意味が理解できなかったので、どういうことなのか聞き直そうとした。そうしたら、彼はおかしな身振りを繰り返した挙げ句、人差し指に自分の血をつけて壁になすりつけたんだそうですよ」
「その痕が、あれさ」
 火村が壁の一点を示す。血溜り近く、床から十センチもない低い位置に、赤黒い痕跡が遺っていた。ダイイング・メッセージということか。
「被害者が最後の力を振り絞《しぼ》って書いたものが……これ?」
 火村が「そうだ」と答える。
 なるほど、こういうことだったのか。
「どうしてエラリー・クイーンの小説を持ってきてくれやなんて頼まれたのか、その理由が判ったわ」
 私はあらためて壁の緋《ひ》文字に目をやる。やや崩れかかってはいたが、それはアルファベットの大文字のYと見るのが自然だった。

 

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