「世界の中心に立って、愛を叫ぶ」という本を読んだ。友達に勧められて初めて読んだ本だが、想像より感動されていないのだ。でも、ちょっと変だけど、一つのことに感心した。筋の簡単なことをこんなに厚い本に書けるなんて、作家が凄い。(もし、周さんは私のこの文を読めば、きっと腹が立つでしょう。笑う)
人間の純愛を描く本だ。二人とも命で愛している。
こんな真の愛は今現在の社会には絶対にないとは思わない。あると思う。ただし、学生時代か若い頃にしかないだろう。初めての恋で、誰もかも心を込めて、乃至命をこめて、相手を愛する。相手のためなら、何でもやる。そこで、傷つけては、傷つけられては、別れて、
一点だけ違う。本中の主人公の一人は死んでしまった。現実の主人公はまだ生きている。もし現実の主人公も死んでしまえば、あの本とぴったりで、韓国ドラマと比べても劣らないでしょう。
だから、あの本に書いてある二人の高校生の愛を理解できる、それほど感動されない。でも、特に小説の書き方に感動するところがある。本の最後に男主人公は新しい彼女を連れて、学校に戻って、死んだ以前の彼女の骨灰を撒くことに関心した。これこそ現実だ。もし、作家が男主人公を女主人公の後について死なせたら、私却ってこの小説を嫌うようになる。韓国ドラマの描いている物語は理想過ぎて、真実ではない。
また文をめちゃくちゃに書いて、後続くことができなくなった。
一度恋したが、なかなか二度の恋に落ちがたいか、落ちにくい。それはなぜかと考えてみた。まだあの人のことが好きというわけではない。傷つけられて、純粋な気持ち、素直な気持ちで、人を好きになれないからだ。17歳の愛を信じるけれども、27歳の愛はもう大割引された。だから、自分の全てを相手にかけたくないし、相手の身からも満点を感じ取れない。
27歳の愛を払っているのに、17歳の愛を獲得したいなんて、ちょっと利己的だ。