「憎まれ役」と呼ばれる存在は色々な場所にいる。小うるさくて煙たいから、嫌われる。しかし、中にはわざわざ「買って出る」人もある。集団を運営していく上で、なくてはならない役回りでもある▼永田町・霞が関では、内閣法制局がこれに当たるともされてきた。各省庁が出す法案を隅々まで審査する。憲法解釈を一手に引き受け、首相らに意見を言う。予算を握る財務省主計局と並び、2大憎まれ役といえるかも知れない▼法制局が認めないから。主計局が駄目と言うから。各省庁は言い分が通らないことの言い訳に、両局の権威や力を利用してきた。そんな見方を、元長官の阪田雅裕氏が著書『「法の番人」内閣法制局の矜持(きょうじ)』で披露している▼憎まれ役は変わった。憲法9条の下では集団的自衛権は行使できない、できるようにしたいなら9条を改正して下さい。そう言い続けてきた法制局が、安倍政権の欲する解釈変更に付き従った。「矜持」は失われたのか▼しかも昨日の本紙によれば、この間の内部の議論の過程が文書に残っていないという。憲法学者ら専門家の多くが違憲と断じ、立憲主義の破壊と批判する決定である。克明に記録し、主権者の検証に委ねる必要がある。歴史への責任意識が見えない▼「憎まれっ子世にはばかる」という。ここでの「はばかる」は幅を利かせる意味だが、他に、差し障りがあるので避ける、差し控えるという意味もある。とすると法制局は、世をはばかって記録を残さなかったか。