衝撃の大きさは察するにあまりある。1949年1月27日の本紙大阪本社版は1面に「法隆寺金堂炎上」の横見出しを張った。「世界の文化的損失」と題する記事が、金堂の中の壁画の焼損を惜しんでいる▼「わが国上代絵画の最高峰」であるだけでなく、「古代絵画の一つの完全なサンプル」として世界史的な価値があった、と。同じ紙面の小欄も「いうべき言葉がない」。国宝中の国宝を失った落胆が伝わる▼計12面の壁画は幸い戦前に撮影されており、色彩を奪われる前の写真を今も見られる。とりわけ傑作とされる「阿弥陀浄土図」。中央の如来の右に立つ観音菩薩(ぼさつ)が美しい。郵便切手の図案にもなったから、慈悲深そうなまなざしと丸顔をご記憶の方も多いのではないか▼『斑鳩(いかるが)の白い道のうえに』で知られる美術史家の上原和(かず)さんは炎上の前年に寺を訪れ、阿弥陀浄土図の実物を間近で見たという。なんという幸運か。中国敦煌(とんこう)の壁画との紛れもない関連が見て取れたと書いている▼焼損した壁画は収蔵庫で保管されてきた。これらを初めて総合的に調査すると、法隆寺がおととい発表した。最新の科学を使って保存対策や美術史研究の進展に資することをめざす。将来、一般公開する可能性も検討するそうだ▼金堂炎上は、歴史遺産の大切さに戦後の日本人の目を向けさせた出発点だ。翌年、文化財保護法の施行。いわば身をもって「文化国家」への道を指し示した焼損壁画の持つ意義が、次代にしっかり伝わってほしい。