日语小说连载_3

  3


 沢口彩花の家は洋品店だった。地元の中学校指定の制服をまとったマネキンが、店頭のショーケースに並んでいる。船曳警部を先頭に中に入った。レジカウンターで、ふっくらした中年の婦人が伝票の整理をしていた。彼女は警部を見るなり、手を止めて会釈《えしゃく》する。彩花の母親だった。
「何度も申し訳ありません。お嬢さんはいらっしゃいますか? 昨日のことをもう一度伺いにきたんですが」
「部屋におりますので、呼んできます」と言ってから、彼女は遠慮がちに尋ねる。「あのぉ、それで、優嗣君を殺した犯人は捕まりそうですか?」
「まだ捜査を始めたばかりなので、はっきりとしたことはお答えできません。全力をあげてかかっています」
「よろしくお願いします」母親は深々と頭を垂れた。「優嗣君がこんな小さかった頃から知っているもので、私もつらくて。娘は私の何倍も悲しんでいますけれどね。友だちを亡くしただけでも悲しいのに、その子が死ぬところに立ち合《お》うたんですから、それはそれはショックやと思います」
「お察しします。ところで不躾《ぶしつけ》ですが、亡くなった山元さんとお嬢さんとは──」
 母親はピンときたようだ。
「ただの幼馴染みですよ。それから音楽の仲間。ボーイフレンドという感じでもありませんでした。『ギターに倒れられたら困るから救援物資よ』と言って栄養のあるものを優嗣君に持っていったりしていましたけれど、それは親切心からのことです。優しい子なんです」
 二人が恋人同士で痴情《ちじょう》のもつれが事件に発展したのでは、と警察に勘繰《かんぐ》られることを恐れているのだろう。母親はそんなふうに釘を刺してから、娘を呼びに引っ込んだ。
 やがて現われた沢口彩花は、母親とは対照的にスレンダーだった。茶髪のショートカットと細身のジーンズがよく似合っている。今は事件のショックで憔悴《しょうすい》して表情が暗いようだが、目鼻立ちのはっきりとした華やかな顔をしていた。
「どうぞお上がりください」
 警部が口を開くより早く、彼女は奥へ招いた。私たちは二階の彼女の部屋に通される。六畳の和室だった。予想に反して、およそ若い女の子の部屋らしい装飾がない。iマックが鎮座した小さな机と文庫本が詰まった本棚があるだけで、いたってシンプルだ。ミュージシャンの部屋らしくもない。ポスターがぺたぺたと貼ってあるでもなく、楽器すら見当たらないのだ。ただ、白っぽい壁紙に、水色のサインペンで細いストライプ模様が描かれているのだけが目を引く。
「この模様はあなたがお描きになったんですか?」
 火村の問いに、彩花はこっくりと頷いた。
「この部屋のコンセプトは、雨の中の庵《いおり》なんです。世捨て人が庵に住んでいて、外では雨が降っている、という情景を思い浮かべたら寛《くつろ》げるので、自分でこんなふうにデザインしてみました。母は『アホなことばっかりして』と呆《あき》れていましたけれど。まともに就職せずバンドをやってるのも、アホなことに含まれているんでしょう」
 面白い子だな、と思った。発想がユニークなだけでなく、そぼ降る雨を丁寧に美しく表現できている。
「お部屋に楽器がないということは、ヴォーカルを担当なさっているんですか?」
 本題に入る前の世間噺《せけんばなし》めかして私が訊くと、今度はかぶりを振った。
「コーラスぐらいはしますけど、私の担当はキーボードです。楽器は別の部屋に置いてます。ピアノやらシンセやら、ここには入りきらないので」
「バンドは何人で?」
「四人です。優嗣君がギター、私がキーボード。その他にヴォーカルとベースの浜本君、ドラムスの用賀《ようが》さん」
「どなたがリーダーですか?」
「浜本君。私と優嗣君と彼は高校時代からバンドを組んでいて、決めたわけでもないけど、ずっと彼が実質上のリーダーです。詞も曲も、たいてい彼が書いてるし」
「ギターの山元さんが曲を書くんではなかったんですか?」
「優嗣君も書いたけれど、浜本君ほどうまくなかった。下手ではないんですよ。ただ、オリジナリティに難があったんです。いつもUFOやMSGにあったようなリフばっかしで……」
「ははぁ、マイケル・シェンカーのファンだったのか」多くのギター・キッズが憧れたプレイヤーだ。「それで山元さんは彼と同じフライングVを使ってたんですね」
 私の言葉に、彼女は顔を上げて小首《こくび》を傾《かし》げた。
「刑事さん、ハードロックがお好きなんですか?」
「いえいえ」と警部が手を振る。「ご紹介するのが遅れました。こちらのおふた方は刑事やないんです。犯罪社会学を専門になさっている英都大学助教授の火村英生先生と、推理作家の有栖川有栖さんといって──」
 私たちが捜査に加わっている事情について、警部は手短に説明した。彩花は「ああ、そうですか」と納得する。
「どうりで、お二人とも刑事さんらしくないと思いました。警察が犯罪学の先生や推理作家の方に捜査協力をあおぐとは知りませんでしたけれど、よろしくお願いします。早く優嗣君にあんなことをした犯人を見つけてください」
 彼女は畳《たたみ》に両手をついて頭を下げた。あまり役に立たない助手もどきであるが、使命感が込み上げてくる。
「そういうわけで、つらいでしょうけど昨日のことについて再度お伺いしたいんです。大変重要なことなのであなたから直接聞きたい、と火村先生と有栖川さんもおっしゃっていますので」
「判りました。何度でも証言します」
 彩花は膝《ひざ》を揃《そろ》えて座り直した。警部が話の糸口をつける。
「昨日は練習もなく、バンドのメンバーは皆さんバラバラだったんでしたね?」
「はい。私は京橋《きょうばし》まで買物に出たりしていました。浜本君と用賀さんはバイト。優嗣君も居酒屋のバイトがある日だったんですけど、練習スタジオの予約の件で電話をしてみたら、風邪《かぜ》気味で体がだるいので休む、ということでした。そんなにしんどそうな声でもなかったから、半分ずる休みかな、とも思ったんですけど」
「その電話はいつ頃ですか?」
「お昼過ぎ。一時ぐらいです。彼、その時間には家にいてることが多いんです」
「体調がよくないらしいと聞いたから、差し入れに行くことにしたんですね?」
「はい。本当に病気やったらかわいそうなので。彼が好きな散らし寿司とお味噌汁を作って持っていってあげることにしました」
「それが十時前でしたね。夕食にしては遅くないですか?」
「六時頃にもう一度電話をして、『救援物資を運んであげよか?』と訊いたら、『昼飯を中途半端な時間に食べたので、夜食を差し入れて欲しい』というリクエストやったんです」
 そういう次第で、彼女は九時四十分頃に家を出て、〈グランカーサ都島〉に向かう。途中のコンビニで食後のおやつにスナック菓子を買ったので、優嗣の部屋の前に立ったのは九時五十五分頃になっていた。チャイムを鳴らし、インターホンに呼びかけても返事がない。何時に行くかは言っていなかったが、自分がくることは伝わっているから外出するはずないのにな、と怪訝《けげん》に思いながらドアのノブをひねってみると、不用心なことに鍵が掛かっていなかった。訝《いぶか》りながら「優嗣君」と呼びかけながら室内に入る。そして、床に倒れてうめいている優嗣を発見したのだ。
「私はかなり混乱しました。何が起きたのか判らなくて、滑って転んだくらいであんなことになるはずないのに、『どうしたん? どこで打ったん?』と問いかけました。すると彼は、消え入りそうな声で『殴られた』と答えたんです。それで、犯罪に巻き込まれたんや、とやっと理解できました」
 優嗣が体を起こそうとするので、彩花は肩を抱いて手助けし、ソファにもたれさせてやる。そして、誰にやられたのか、と尋ねた。だが、優嗣の顎はがくがくと痙攣《けいれん》するように動くだけで、なかなか言葉が出てこない。そんなことより救急車を呼ばなくては、と彼女は携帯電話で消防署にダイヤルした。通報を終えて電話を切り、警察にも報せた方がいいだろう、と一一〇番しかけた時に、優嗣の掠《かす》れた声が聞こえた。
「『何、優嗣君?』と訊き返すと、彼は同じことを繰り返しました。昨日から警部さんにお話ししているとおり、それは……」
 彩花は言い淀む。警部は続きを促した。
「聞こえたままを、あなたの口から先生方に言ってください」
「はい」彼女は火村と私を見て「『やまもと』と言ったように聞こえました」
 私は、きょとんとしてしまった。やまもと? 山元は彼自身の苗字《みょうじ》ではないか。ギタリストは、自分を襲《おそ》った犯人の名前を告げようとしたのではなかったのか?
「変ですよね。とっさに意味が判りませんでしたけど、これはもしかしたら、頭を殴られたせいで正常な受け答えができなくなっているのかもしれない、と思いました。私のことを救急隊員と勘違いして、『自分の名前が言えますか?』と質問されているんやないか、と」
 ああ、そうか。そういう錯覚はあるかもしれない。
「私が『彩花やで。判ってる?』と顔を突き出してみせると、優嗣君は微《かす》かに頷いたように見えました。でも、まだ勘違いをしてるのかもしれません。それで、犯人が誰か知りたいというより、彼の意識がちゃんとしているかどうかを確かめるために『誰にやられたの?』と訊きました。そうしたら、苦しそうに顔を歪《ゆが》めて何か言うたんですけれど、もう声にならないんです」
 思い出しながら話すのに、多大の苦痛が伴っていることだろう。
「唇の動きで判りませんでしたか?」
 火村が穏やかに尋ねる。
「それが……やっぱり『やまもと』と動いたみたいに見えたんです。その前後にも、唇をぱくぱくさせていましたが、うめいていただけかもしれません」
 どうしたらいいのだろう、と彩花は狼狽《ろうばい》した。何か話しかけ続けていないと、彼の意識が遠くなってそのまま死んでしまうかもしれない。そう思うと狂おしい気分になって、何でもいいから問いかけ続けなくては、と思った。だから、さらに尋ねた。「誰が優嗣君を殴ったんや?」と。その場面を想像すると、胸が痛む。
 だが、優嗣はもはや声を発することが不可能になっていた。しゃべることを諦《あきら》めた彼は、ボディ・ランゲージで答えようとする。ゆっくりと右腕を上げて、傍らの床に落ちているエレキギターを指差したのである。逆上していたため、彩花はその時に初めて凶器がギターであることを知った。
「血がついたギターがそばに転がってたのに、これで殴られたのか、ということすら気がつかなかったんです。何てひどいことを、と身顫《みぶる》いしました」
「言葉を挟んで失礼します」私は言った。「優嗣さんが床のギターを指差したので、これで殴られたのか、と判ったんですね。けれど、それってあなたの問いかけの答えにはなっていませんよね」
「そうですね。言葉が通じていない、と思いました。だから、とりあえず『これでやられたんやね。判った』と応じてから、『殴った人は誰?』としつこく尋ねました。彼はなおもギターを指したままでした」
 これは駄目だ、と彩花は親指の爪を噛《か》んだ。どうするべきか。話しかけて無理をさせない方がいいのだろうか、と迷っているうちに救急車のサイレンが聞こえてきた。その音は少しずつ近くはなってくるのだが、なかなかマンションの前までこないので、もどかしくてならなかった。
 と、優嗣が再び床に崩れ落ちた。両の目は虚《うつ》ろで、死が彼を迎えにきていることが知れた。彩花は彼の生命の火を消さないように「しっかりして」と懸命に呼びかける。優嗣は何か言い遺したそうだった。もう助からない。間に合わなかった、と彼女は覚悟を決めかけた。それでも、「がんばって。救急車がきたからもう大丈夫やよ」と励ますことはやめなかた。
「『もう動かんと、じっとしてて』と言ったのに、彼は従いませんでした。人差し指を血溜りに浸して、指先に自分の血を塗《ぬ》りたくりました。そして、壁にYとだけ書いて……そこで意識を失ったんです。びっくりして脈をとったら、すごく弱くなっていて、ほとんどなくなっていて……」
 その後は放心したあまり記憶に欠落があって、救急隊員がドアを開けて入ってきたことにさえ、彼女は気がつかなかったという。沢口彩花の話はそこまでだった。
「丁寧にお話しいただいて、ありがとうございました」警部が言う。「こちらからいくつか質問させてもらいたいんですがね。よろしいですか? あなたが優嗣さんの部屋を訪ねた際、不審な人物を見かけたりしませんでしたか?」
「昨日の夜の質問の繰り返しですね。いいえ、何も見ていません。私は普通にエレベーターで上がりましたから、犯人が階段を使ったんならすれ違うこともなかったでしょう」
「あなたが現場に着いたのは、犯行が行われたほんの数分後だった可能性もあるんです。ですから今は思い出せなくても、よく考えて気がついたことがあれば連絡してください」
「そうします。けれど、誰も見んかったんですよ。私にそんなことを訊くより、マンション内の人に聞き込みをして回った方がよいと思います」
 もちろん、全戸の全住民に対して聞き込みがかけられている。警部は「それも行なっています」と答えてから質問を変えた。
「ところで、例の『やまもと』ですけどね、あれについて思いついたことはありませんか? あなたがおっしゃったように、優嗣さんの意識が朦朧《もうろう》としていて自分の名前を口走ったのかもしれませんが、そうやないかもしれんでしょ。『やまもと』というのは、よくある苗字です。自分と同姓の『やまもと』という人物に襲われた、と言いたかったんやないでしょうか?」
 そう尋ねられても、彼女が確信を持って答えられるはずもない。
「私が知ってる範囲では、彼が親しくしてた中に『やまもと』という人はいませんでした。学生時代には山本というクラスメイトがいたこともあったでしょうけど……全然ピンときませんね」
「沢口さんは小学校から高校まで、優嗣さんと同じ学校だったんですね。後で、それぞれの卒業アルバムをお貸し願えますか?」
 彩花は承諾したが、縁の切れたかつてのクラスメイトを調べても無駄だろう、と思っているふうである。『やまもと』よりも、私は壁の血文字の方が気に懸《か》かっていた。
「優嗣さんが書き遺したYについてお尋ねします。彼は、Yの後にも何か続けて書こうとしていたんでしょうか?」
「はい、おそらく」という回答だった。「Yと書いた後、彼の指がほんのちょっと右に動きました。あれは多分、続けて何か書こうとしたんです。でも、もう命が残っていなかった……」
 彼女は口惜《くちお》しそうだ。私も悔しい。命を懸けて遺そうとしたメッセージなのに、伝わらなかったとは。どうにかして解読できないものか。欠けた情報を想像力で補えないものか、と思う。
 火村はどんな気持ちなのだろう、とその表情を窺《うかが》ったが、何も読み取れなかった。非情なばかりの冷静な眼差《まなざ》しで、観察するように彩花を見つめている。
「山元優嗣さんは、どんな方でしたか?」
 そんな彼が初めて尋ねた。彼女は言葉を選ぶ間も措《お》かずに答える。
「人から憎まれるような子ではありませんでしたよ。ちょっとおぼっちゃんタイプで、わがままなところもあったけど、気のいい子です。男にも女にも親切やったし、さっぱりしてて、優しかった。私なんか性悪説論者で、渡る世間は鬼ばかり、人を見たら泥棒と思え、と思うのに、彼は人間の悪意をあんまり信じてなかった。浜本君がヘヴィーな曲を書いてきたら、『歌詞がネガティヴすぎる』と難色を示すぐらいでした」
「敵らしい敵はいなかったわけですね?」
「はい」
「しかし、彼の部屋に物色《ぶっしょく》の跡はありませんでした。犯人が無理やり侵入した形跡もない。つまり、優嗣さんは彼自身が相招き入れた顔見知りに殺害されたとみるのが自然なんですよ」
「そんなことを言われても……。私は、彼について感じたまま、ありのままを話しただけです」
 彩花はいささか気分を害したようだった。火村は言い方が不適切だったことを詫《わ》びる。
「失礼しました。いがみ合っている人物はいなかったとしても、一方的に優嗣さんに悪意を抱いている人間がいたのかもしれない、と思っただけです。もちろん、現時点ではそう考える明瞭な根拠もないのですが」
 幼馴染みは無言だった。付け加えることはない、という意味の沈黙なのだろう。
「バンドのメンバーとの関係は良好だったんですか?」
「CDができて、みんな盛り上がっていました。どこまでメジャーになれるか、自分たちの未来が楽しみになってきたところだったんです。関係が悪いはずありません。私の話が物足りないんでしたら、浜本君や用賀さんに訊いてみたらどうですか」
 その二人には、これから個別に事情を聞きに行くことになっていた。彩花は、ふぅと大きな溜め息をつく。
「初めてのCDが優嗣君の追悼《ついとう》アルバムになってしもうた……」

  • 0
    点赞
  • 0
    收藏
    觉得还不错? 一键收藏
  • 0
    评论
评论
添加红包

请填写红包祝福语或标题

红包个数最小为10个

红包金额最低5元

当前余额3.43前往充值 >
需支付:10.00
成就一亿技术人!
领取后你会自动成为博主和红包主的粉丝 规则
hope_wisdom
发出的红包
实付
使用余额支付
点击重新获取
扫码支付
钱包余额 0

抵扣说明:

1.余额是钱包充值的虚拟货币,按照1:1的比例进行支付金额的抵扣。
2.余额无法直接购买下载,可以购买VIP、付费专栏及课程。

余额充值