あるアメリカの大学の先生がノーベル賞(しょう)を受賞(じゅしょう)した。それは学校の名声(めいせい)を大変高めることになったので、総長(そうちょう)は有頂天(うちょうてん)になり、「君、多くの大学から講演(こうえん)に呼ばれるだろから、当分(とうぶん)、私の車と運転手を遠慮しないで使ってください。ノーベル賞を取り立てのころは、その先生も嬉しくて、得意(とくい)満面(まんめん)、総長の車を使い、次々と大学を講演して回(まわ)った。ノーベル賞は毎年(まいとし)、ノーベル賞の命日(めいにち)、十二月十日(とおか)に与(あた)えられることになっており、その時の受賞記念(きねん)講演をそのまま(就那样)招待(しょうたい)された学校ですればよいわけである。
この先生、同じことを七、八回しゃべ(喋)るとさすが(的确)にちょっと飽(あ)きが出てきた。一方(いっぽう)、運転手さんはいつも、一番の席でじっと(一声不响的)聞いている。門前(もんぜん)の小僧(こぞう)ではないが、もう全部丸(まる)暗記(あんき)するまでなっていた。
さて、そうなった時、運転手は言った。
「今日は先生もお疲れのご様子(ようす)、私が代(か)わってやりましょう。」先生の方もその気になり、「この大学にはおれの顔を直接(ちょくせつ)知っている人はないはずだ。お前とおれは容姿(ようし)がそんなに変(か)わらない。それでは一(ひと)つ頼(たの)むか。」
ということになった。こうしてノーベル賞の先生は運転手を仮装(かそう)した。運転手先生の講演が始まったが、どうして、彼は観光(かんこう)ガイドをやった経験(けいけん)もあり、話は堂(どう)にいったもの、声も本物(ほんもの)の先生よりずっととおり(响亮)が良(よ)い。講演が終わると大かっさい(喝采)となった。
それで終わればよかったが、アメリカ人は質問したがり(我利)くせ(癖)がある。前列(ぜんれつ)の利口(りこう)そうな男(おとこ)が質問を始めた。しかしこの運転手先生は問を静かに聞き終わると、少しも慌(あわ)ててず言った。
「いい問題をするけど、どうも易しいことを難しく考えているんじゃないかね。そういうことは既(すで)にわれわれの仲間(なかま)では議論(ぎろん)され尽(ず)くして,私の運転手もこの問題をよく知っています。」