那个时候,谢谢你
以前(いぜん)お世話をした外国人留学生に、久しぶりに再会することがあるが、ほとんどの場合、彼らは世話になった礼を言わない。礼を言われることを期待するほうがおかしいのかもしれないが、なんだかさびしい。日本人は何か世話になった直後(ちょくご)にお礼の言葉を述べ、その後も会うたびに、「先日(せんじつ)はありがとうございました」「あの時はどうも」「いつぞやはお世話になりました」などと繰り返して言う。これが普通だと思っている日本人の習慣からすると、その時一回かぎりのお礼だけでは物足りなさを感じるのも無理はない。
Previously, I took care of an International foreign exchange student, we hadn't seen each other in a long time, and on that occasion when I met him again, he didn't give thanks.
和以前曾经关照过的外国留学生偶尔见面,他们几乎都不说感谢之类的话。虽然期待别人说谢谢的这种心情有些不合适,但还是觉得些许寂寞。
お世話になる(おせわになる):受到别人的照顾。 「お世話になりました」(谢谢您的关照/给您添麻烦了)。
在客户往来和商业邮件中,这句话也十分常见,接下来会给对方添麻烦时,使用「(今後)お世話になります」,而已经给对方添麻烦了要用「お世話になっております」的形式来表达。
おせわをする:照顾别人。 子どもの世話をする。 照顾孩子
なんだか:(不知怎么滴)总觉得
のべる
たびに 每次,屡次。 いつぞや=先日 繰り返す:返還 xxきり:限定。いっかいきり 只有一次。かぎり 物足りない、物足りなさ ものたりない。有点不满足,不够十全十美。
無理はない:(也不是没有道理的),难怪,理所应当。
からすると:从......来看,表示判断的依据。 からすれば・からしたら
見到睽違己久曾照顧過的外籍留學生,大部份的情況是他們不會提到過去我對他們的照顧,或許期待他們開口道謝的我才奇怪,但我還是感到有些落寞。通常日本人受到照顧後會馬上表達謝意,之後每次見面,也會舊事重提,比如說「前幾天,謝謝您」、「那時侯,謝謝您」、「前些日子,承蒙您的照顧」等等。從日本人認為這才是一般做法的習慣來看的話,覺得只在當時道一次謝是不夠的,也是很自然的事。
一般的に、日本以外の多くの国(くに)では、お礼の言葉は一回きりで済ます場合が多いようだ。ただ、ここで肝心なことは、彼らは決して恩(on)を忘れるわけではないと言うことである。それは、ひとたびこちらからお願いごとをすると、恐縮(きょうしゅく)してしまうほど精一杯尽くしてくれることでもわかる。
一般而言,日本以外大多數的國家,好像大部份都只道謝一次就夠了。但是,這裡的重點是,他們絕對不是忘記恩情,從一旦我們有事情要求幫忙,他們拼命盡力的程度會到讓我們覺得很不好意思,類似這樣的情形就可以明白。
ようだ:好像
肝心なこと:重要的事情
ひとたび(一度):一旦
恐縮:过意不去
精一杯:竭尽全力
日本は義理社会だと言われる。日本の伝統文化をはぐくんできた義理人情は大切にしなければならないと思う。しかし、それが形だけのものになってはならないと思う。
大家都說日本是人情社會。我認為我們一定要重視長久以來培育日本傳統文化的人情義理。但是,千萬不要流為形式,變成很表面的東西。
育む(はぐくむ) 人情(にんじょう)
贈り物も、もらってありがたく思うより先にお返しのことを考える。心から感謝の気持ちを伝えるはずのお礼の言葉も、言い忘れては失礼になるという気持ちのほうが強くはたらき、二度も三度も繰り返す。これらは、お礼をしたり、お礼を言ったりするが形だけのものになってしまった悪い例だ。
以禮物而言,先想到的是如何回禮而不是收到時感到開心;應該傳達的是由衷感謝的謝辭,卻是怕忘記說的話會很失禮,就一而再,再而三的強調,像這樣的送禮、不厭其煩的道謝就變成很表面,這就是不好的例子。
はたらく:work 起作用
贈り物をもらった時、「ありがとう」の一回きりの言葉だけで済ますわけにはいかないだろうが、まるで物物交換(ぶつぶつこうかん)のようなお礼のやり取りだけはしたくないものだ。
虽然收到礼物不能只说一声谢谢就完事,但是就像物品交换那样,彼此不停地互相道谢,也不是我所希望的。
やりとり:交換
My own idea:
Many articles in this book has the similar characteristics. With short but intriguing titles, leading into deep thoughts. Maybe my personality is a little Japanese style. I put too much attention on my daily behavior, hoping to be a nice person, willing to help others and protecting the environment. And saying thanks is not an exception. And saying too many thanks will make you wanna hear the same gratitude from the other person. Literally, this is not a moral kidnapping. But it could give rise to small suspicious thoughts.
それが形だけのものになってはならないと思う。 I don't think it shoud fall into a form.
Sometimes I need to learn to read from people's deeper parts, not just the surroundings. Because what you see is the surface while what they do is their insides.